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スタフォード郡()は、アメリカ合衆国バージニア州の北東部に位置する郡である。独立市のフレデリックスバーグがラッパハノック川の対岸にある。2010年国勢調査での人口は128,961人であり、2000年の92,446人から39.5%増加した〔Quickfacts.census.gov - Stafford County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地は国勢調査指定地域のスタフォード(人口4,320人〔American FactFinder - Stafford, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡に法人化された町はなく、人口最大の町はやはり国勢調査指定地域のアクィアハーバー(人口6,727人〔Quickfacts.census.gov - Aquia Harbour, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)である。雑誌フォーブスに拠れば、2006年と2009年にスタフォード郡は国内の収入が高い郡11位にランクされた。郡内をアメリカ国道1号線、州間高速道路95号線、通勤鉄道のバージニア急行鉄道が通っている。 スタフォード郡はワシントン大都市圏に属している。 == 歴史 == スタフォード郡となった地域のポトマック川やその支流沿いに、数千年前から様々な文化を持った先住民族が住み続けていた。イングランド人が入ってきた時までにバージニア州の海岸地域にはアルゴンキン語族のインディアン32部族がおり、パタウォメック族など多くの部族はポウハタン連邦に属していた。現在も小さな部族がスタフォード郡周辺に住んでおり、2010年にバージニア州に認知された。 インディアンが最初にヨーロッパ人に遭遇したという記録が残るのは1608年のことであり、ジェームズタウンのジョン・スミス船長とだった。イングランド人初期開拓者とインディアンの間で緊張関係が繰り返されたとき、サミュエル・アーゴールが率いた植民地人がポウハタン酋長の娘で、夫のココウムと住んでいたポカホンタスを捕まえた。その場所がスタフォード郡東部であり、植民地人はそこから植民地第2の開拓地であるヘンライカスに連れて行った。ポカホンタスを捕まえている間に、アレクサンダー・ウィテカーがキリスト教に改宗させた。ウィテカーはポカホンタスの洗礼のときに、レベッカという名前を与えた。レベッカは1614年4月5日、ジェームズタウンでジョン・ロルフと結婚した〔John Rolfe Highway Marker 〕〔Kidnapping of Pocahontas Highway Marker or Pocahontas Highway Marker 〕。 バージニア植民地政府は土地と人民に独自の秩序を課した。1664年、スタフォード郡はウェストモアランド郡から分離して設立された〔New Papyrus Publishing Company's On-Line Catalog: Stafford County Virginia 〕。郡名は、イングランドのスタッフォードシャーから採られた。当時の領域は現在よりもかなり大きなものであり、現在北バージニアにあるアーリントン郡、フェアファックス郡、プリンスウィリアム郡、アレクサンドリア市が含まれていた〔。 ジョージ・ワシントンは子供時代の大半を郡内下流にあった家族の家で過ごした。フェリー・ファームと呼ばれ、フレデリックスバーグ市とはラッパハノック川の対岸にあった。ワシントンの父オーガスティン・ワシントンが所有していた土地にコロニアルフォージ高校が建設された。アメリカ合衆国建国の父の1人である。ジョージ・メイソンも若い時をスタフォード郡で過ごした〔Connor Jr., Albert Z. (2003). ''A History of Our Own'', Virginia Beach: The Donning Company Publishers.〕。 1757年にガリソンビル近くに建てられたアクィア教会は、平面がギリシャ十字になっていることで、土地の建築の中では特異である。アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されている。この聖公会教会は現在も使われ続けている〔Information about historical churches, including the Aquia Episcopal Church , Simply Fredericksburg〕。 スタフォード郡の産業と資源は、植民地と国の初期に重要だった。アメリカ独立戦争のときには、鉄工所が軍隊の武器を造った〔DeOnne C. Scott, ''Stafford County (VA)'': ''Images of America'' , Amazon.com〕。ガバメント・アイランドから切り出されたアクィアクリーク砂岩が、ホワイトハウスやアメリカ合衆国議会議事堂の建設に使われた〔http://www.staffordcountysun.com/servlet/Satellite?pagename=SCS/MGArticle/SCS_BasicArticle&c=MGArticle&cid=1128768195420〕。 南北戦争のとき、郡は戦場となり、数年間は10万人以上の部隊に占領された。アクィアハーバー地域ではアクィアクリークの戦いが起こった。北軍も南軍も戦略的なポトマッククリーク橋の支配を巡って何度も戦った。 フレデリックスバーグに接するファルマスの町は19世紀後半の画家ガリ・メルチャーズの故郷であり、その家であるベルモントは今も残っている。 スタフォード郡は現在ワシントン大都市圏に属すると見なされている。多くの住人はアメリカ国道1号線、州間高速道路95号線、通勤鉄道のバージニア急行鉄道を使って、北のワシントンやその周辺で働きに通っている。 2008年5月9日早朝、郡南部で竜巻が起こり、郊外の家屋約140軒に損害を与えた。 2009年12月と2010年2月の吹雪でも重大な影響を受けた。郡庁所在地のスタフォードではどちらの時も2フィート (60 cm) の雪が積もった。2009年12月の時は25.4インチ (65 cm) とワシントン大都市圏として最大の降雪となり、2010年2月でも19.3インチ (49 cm) 積もった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタフォード郡 (バージニア州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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